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シャルル7世の中の人を推しとするオタクがとりとめもなく「イザボー」の感想を語ったらめちゃくちゃ長くなった記事。

ミュージカル「イザボー」に通い詰めた感想。東京公演が終わったので。そして明日から大阪公演が始まるこのタイミングで書き上がったので。
演出家の他作品は未履修。シャルル7世の中の人が推しなので基本そこを中心に観てた(のでそこが一番感想長いしそこら辺の話が他の方の感想にも絡んでくる)、そして全体的に概ね楽しんだ者の感想です。
ネタバレに全く配慮していませんので、大阪公演やブルーレイで新鮮な気持ちで観たい方はお気を付けください。

 

 


フランス革命時代のことは良く取り上げられるしたぶんマリー・アントワネットって日本で一番有名なフランス王妃だと思う。ミュージカルに限らずそこら辺を題材にした物語は山ほどあるので何となく知ってた。
けれど、百年戦争の時代まで遡るとそういえばジャンヌ・ダルクという少女のことは何だか知っているような気がするのだけど、彼女が助けたのに彼女を助けなかったシャルル7世という人物のことについては結局どうしてそうなってしまったんだろうとは思いつつ良く知らなかったしそれ以外の人物を知らないし、そもそも歴史において百年戦争なんて呼ばれるすさまじい戦乱の時代が何故フランスとイギリスの間にあったのか、何故ジャンヌ・ダルクという少女ひとりが出てきただけで事態が収束に向かい始めたのか、そもそも何故農村出身の平民の少女一人に国が縋らなければいけない状況に陥ったのか、そこを突き詰めようと思ったことはなかった。


ミュージカル「イザボー」の主役であるイザボー・ド・バヴィエールの物語は、ジャンヌ・ダルクが活躍した時代からすれば時代的にも成したことの内容としても前日譚と言ってもいい。(もっとも彼女はジャンヌよりも随分前に生まれたが、ジャンヌよりも後の時代まで生きている)ただしこの前日譚、現在残っている「史実」とされる人生を軽く予習しただけでも濃すぎて眩暈がした。そんな人を中心に据えた物語。余談だけど会場はブリリアホール、大阪はオリックス劇場。どちらも昨年の終わり頃まで「ジャンヌ・ダルク」の物語を上演していて、そちらは配信で観たけどイザボーという名前が何度も登場して非常に予習として有用だった。去年も思ったけど、何か同じ時代の舞台を立て続けにいろんなとこでやる時期ってあるのなんでなんだろう。参考になるけど。


「イザボー」は、世界初演の、日本発オリジナルミュージカル。
元気になる悲劇だということだったので、どういうこと? と思いながら観に行った。観て納得した。むしろ、これを「悲劇」と言ってしまってよいのか、そもそも悲劇ってなんだろうって考えた。

 

 

イザボーの息子であるシャルル7世の戴冠式直前から物語は始まる。彼は自分が即位することで自分が生まれる前から続いていた血塗られた戦いを終わらせ国に安定をもたらすことを誓いながらも、「最悪の王妃」と称されている女性イザボーの血を引いていることから、彼女のように国を破滅に導くのではないかと恐れていた。彼が「自分の唯一の善き母」として慕う養母ヨランドに、恐れとは無知から来るもの、あなたは彼女のことを知らなくてはいけないと諭され、知りたくもないと思っていた実母の生きた足跡を辿ることになる、という流れ。

 

時代は後に「百年戦争」と呼ばれるようになった、フランスとイングランドが終わりの見えない戦争をしていた時代(当時はその名がなかったため、登場人物は皆状況を「百年続くかのような戦争」と称しているのが個人的に観客への伝え方と当時の人々の目からの視点が良いバランスで詰まってる呼び方だなあと思って好き)。

国同士だけでなく、フランス国内でも様々な派閥が権力をめぐって争っていて、この物語もどちらかと言えばイングランドとの対立よりもフランス国内の対立の変遷とその中を生き抜いた時の王妃イザボーを中心に描かれる。有名なフランス革命の時代と違うのは、権力を持つ者の敵はあくまでも他の権力を持ちうる者であることで、民衆は酒場で王族の噂話に花を咲かせ批判の言葉を叫ぶけれど、それが何かの行動に結びつくことはない。まだ王族は絶対で、民衆が自分たちにも政治を動かす権利があると気づくにはまだ早かった時代。

 

……という、日本人には若干親しみの薄い時代の話を、こんなにパワーのあるミュージカルとして成立させたのはそれだけでもすごいと思う。知らないことがたくさんあったけど、要所要所で説明が入りながら話が進んでいくので、その説明が理解できればストーリーをかみ砕くのも然程難しくはない。その点でも狂言回しというよりも「観客と一緒に歴史を傍観する」立場のシャルル7世とそれを導く養母ヨランドの存在が非常に助かる。ただ、説明が早口な部分があるのと、私の知識のせいもあるだろうけど頭の中でぱっと文字に出来ない言葉もあって全てを1回で理解しきるのはだいぶ力がいると思うし、できればネット上で見られる程度の情報でいいからイザボーとシャルル7世、その周辺をさらっとでも予習しとくと飲み込みやすいかもしれない。(その点、歌詞が全てパンフレットに載ってる点は助かる。さすが国産ミュージカル、権利強い……)

 

 

タイトルロールであるイザボーを演じた望海風斗さんへの称賛は少し検索するだけでも大量に出てくるし私はそれにだいたい同意なのでそちらにお任せするとしてさらっとだけ書こうと思うんだけど、私はNext to Normal、ガイズ&ドールズ、ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル、そしてイザボーと、退団後の舞台でだけで彼女を拝見していた中で、なるほど確かにイザボーは今までの中で一番ハマってるなあと思った。茨の道を進み、「すべての栄華は私のもの」と言いながらもどうしようもない運命に時に絶望し、諦観し、けれど最後は力強く「これが自分である」と宣言する。その物語がただの悲劇にならなかったのはあまりにも望海さんが望むもののために突き進んだ「イザボー」としてそこに立っていたからかもしれない。

 

イザボーという女性については、彼女の物語をもし悲劇だというなら一番の原因は「彼女に与えられた立場と事前の知識があまりにもアンバランスだった」ということなのかもしれないと私は思う。
女性には大した教育が施されず、王妃は後継者を生み育て、王政の(文字通りの)象徴であることが求められた時代、国王が狂気にさえ落ちなければ(その是非はともかくとして)おそらくその型通りの人生を歩めていたはずの女性のように受け取った。初めてフランスに連れてこられた時に「政略結婚」という言葉すらも知らない様子で初々しく振る舞っていたことや、「この世界の誰より幸せになることを夢見ていた、花や鳥たちにも聞かせていたわ」と歌う様は、まさしくひと昔前の「プリンセス」そのものだったから。彼女は自分の道の切り拓き方を自分で考えていることから知恵がなかったわけではなく、ただ知識を得る機会には恵まれずに、それ故自分を守るべき国王が盾とならなくなった時、代わりに自分が愛する国王や国や子供たち、そして自分自身を「自分なりに」守るための手札は(言い方に難はあるが)自分で産み落とすか、周りの男たちから奪い取るしかなかった。
それでも、彼女は手の中におさめた手札全てを使い切って、人生を生き切った。何を言われようとも生きると突き進んだ彼女の姿は、望海さんの強さと絶望を同時に表現できる振り幅、そして説得力のある演じる姿があってこそのものだった。

 


この物語をはじめるきっかけになり、一番観客に近い視点でこの物語をある意味傍観する、甲斐翔真さん演じるシャルル7世の立ち位置がすごいと思う。物語は「彼が知らなかった実母の物語」を知ろうとするところから始まるが、物語が進むにつれて彼もその中で生を受ける時代を迎え、やがてその物語の中に組み込まれつつも一方で傍観者であることを続ける。彼もこの時代の人間であり、価値観は(多少現代の人間に寄せているところはあるにせよ)他の登場人物とそう変わるものではなく、600年前の価値観は現代とあまりにもかけ離れていることが当然とされているところもある。けれどシャルル7世はあくまで「観客と同じ目線から」物語を観なければいけない。そのバランスがとてもいい。

 

劇中で、シャルル7世がその時代にあった出来事について目の当たりにしたその場で感想を述べるのは2回(自分がその時どう思っていたかの話や、実際に体験したことを語っている時のことは除く)。語ると長くなるので詳細は省くけれど、この2つのシーンにおけるシャルル7世の意見は概ね観客と同調するものだと思うし、当時の価値観やシャルル7世自身の考え方から見ても矛盾はなさそうだと感じる。また一度だけ、彼自身が非情な決断をするシーンもあるが、その際完全に彼は舞台の場面の登場人物として動いているので、当時のあの立場ならそういうこともあるよね、という感覚で見られる。

 

一方で、おそらく彼が傍観しながら観客と異なる印象を受けたであろうシーンでは「沈黙を保つ」ことで観客との意識の剥離を避けている。

 

なんせ私は中の人が推しなので彼が直接喋らない、暗転の中にいるようなシーンの行動も逐一観ていたオタクなのだけれど、彼はそういった通常自分が注目されないであろうシーンでもきちんとシャルル7世として行動している(たぶん舞台上にいる皆さんがそうだと思うのだけれど)。
責められつつ、私はただ(身近なものを)愛そうとしただけよ、と叫びながら去っていくイザボーを見送る目はそれまでに抱いていた最悪の王妃という母のイメージを覆され戸惑っていたし、ルイの妻ヴァレンチーナの非業の死を聞かされた時には驚いたような素振りを見せていた。身籠った子供(=シャルル7世)に対してのイザボーの言葉に静かに一喜一憂する表情も、袖から登場して来る際、ヨランドに「シャルルは敵だ」と告げるイザボーの言葉を聞いてしまって思わず足を止めるのも切ない。ヨランドがイザボーに自分とヨランドの娘を婚約させ(そして引き取)る話をしている時にも、結果はわかっているのにどこか自分を見捨てないでほしいというようにイザボーを見上げるその目も。(ついでにその直後の曲で、作中一番感情爆発させてたのがものすごく良かった)

 

一方、「女というものの価値」を説かれ続けるイザボーの、彼女に浴びさせられる言葉は現代から見れば耐え難いものばかりなのだけれど、その様子を見ているシャルル7世は表情ひとつ変えない。現代の価値観がどうであれ、その時代はそれが「普通」の価値観であり、おそらくシャルル7世もそれに疑問は抱いていなかっただろう。ただそれを強く表現してしまえば観客との剥離が生まれて、舞台と客を繋ぐ役割が揺らいでしまう。それをうまい具合に「曖昧にする」ことで、観客との距離を想定以上に引き離さず、同時にその時代に存在する人間であることにも説得力を失わせない表現が素晴らしかったなあと思う。

 

現実と回想を行き来し、時に自分で解説しながらその時代に降りていくこともある役柄はとても難しいだろうしともすればこちらも混乱しがちだろうけれど、それがきっちり分けて表現されていたと思うし、同時に最初は不安げに玉座に座り、「今更あの女のことなど知りたくもない」と言っていた彼が、その足跡を辿るにつれて最終的に自発的にイザボーの考えを知ろうとするところまでたどり着き、堂々とした姿で戴冠式に臨むのが頼もしい。最後のシーンはきっと史実ではないが、忌み嫌っていた血もまた自分の一部であり、決して汚らわしいものではなかったと受け入れて前に進む覚悟を見せてもらった。幕切れの瞬間、おそらくだいたいの人がイザボーに視線を奪われている中で、舞台の端で一人空の向こうを見上げるようにするシャルル7世の姿が好きだ。角度がちょうど去年のムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカルで最後に彼が演じるクリスチャンが笑顔を見せていた時のものとだいたい同じで、つまり決して母とは呼べなかった、しかし確かに一緒に戦っていた今は亡き一人の女性のことを思いだして、誰にも知られないように敬意を表している気がして。

あ、兼役(と言っていいものか)めちゃくちゃ好きでしたしアドリブが日々洗練されていくのが「新しいスキル取得したね……」という感じであのシーンにめちゃくちゃお礼言いたいです(誰目線)あの曲いつか個人イベントで歌ってくれ。

 


そのシャルル7世の父であり、イザボーの夫、上原理生さん演じる狂気王シャルル6世。(余談かつ個人的な話ですが今回推しと共演したことある方がプリンシパルに多くて、安心してチケットが取れました……もちろん新しい方との共演も化学反応が楽しみなんだけど、世界初演のミュージカルで強力な安心材料があったのはものすごい良かった……)


上原シャルルは出てきた時にはもう既に狂気の中で、正気の芝居より狂気の芝居の方が多いというすさまじい役なんですけど、いやもう……すごい……狂気の中にいるのにちゃんとめちゃくちゃ歌い上げている……でも狂気の中にいる……表現力すごすぎる……
最初に狂気に落ちた時に見せる顔が怖すぎて怖いもの見たさで双眼鏡覗いてました。本当にすごかった。

 

狂気王と呼ばれる前、親愛王と呼ばれていたシャルル6世。その史実だけでもきっと根は優しい人だったのだろうなというのが想像できて、それはだからこそ壊れていく自分を恐れてイザボーに縋り、結果としてそれがイザボーを変貌させていくその流れが切なかった。最後のイザボーとの対話は夢の中だけれど(ところで私はあれはイザボーの夢だと思っているのですが実際はどちらの夢なんだろう)本当にそうだったらいいのに、と願わずにはいられなかった。少なくともイザボーはそうだったでしょうから。それにしてもその前の場面の、精気が抜け落ちて最早廃人同然の顔も静かなのに迫力があって、本当に狂気王、すごかった……

 

数少ない「親愛王」の姿をしている二幕最初のシーンが愛おしすぎてたまらなかったのですが、それにしても息子が日を追うごとに「役のままアドリブのセリフを吐く」スキルを身につけていく一方で父が日を追うごとに自由になっていくのがめちゃくちゃ面白かったですwww あの勢いで大阪も駆け上がっていくのですか親愛王よ。
あと第一幕の最後、父と息子の動きがあまりにも同じでこれで血が繋がってない可能性とか論じる??? と思ってました。振り付けが偉すぎる。

 


ブルゴーニュ公ジャン、中河内雅貴さん。無怖公と呼ばれていたジャンですが、その称号の通り、特に二幕に入ってからの剣幕がすごくて震えた。一方父親の傍に常に控えている一幕(この父子普通にめっちゃ仲よさそうでいい、密かなる癒し)ではわざと抑え目な感じで、それが二幕の変貌を際立たせた。父親が亡くなった時に「イザボーとルイに対する楔がなくなった」というようなことを言っていたが、本当に楔を抜かれたのはジャンだったのではなかろうか。
一方で、ただの「恐れ知らず」ではない人間臭さもあって良かった。両側から槍でどん! と大きな音を出された時にいちいちびくついてたの可愛かったし、婚礼パーティーで無表情にばりばり踊ってたのめちゃくちゃ可愛かったし、そして最後、絶望的な状況に陥った時に出た言葉と行動が「どけ!」と必死に逃げようとすること。おそらく閉鎖空間で、逃げようとも逃げられるはずがなかったのに。人間臭さ、泥臭さという点では、彼が一番だったかもしれない。その二面性がとても好きでした。イザボーが「あなたは政治家としては優秀」と言っていたし、民衆の気持ちを誘導することにはものすごく長けていたけれど、言われていたほど怖いもの知らずではなかったのかもしれない。彼もまた、必死に生きようとする中で時代の波に呑まれてしまった一人なのかもしれないと考えさせられるキャラクターでした。

 

中河内さんを拝見するのは3作目なんですけど(クラウディア、MR!、この作品)毎回(確か毎回)ばりばり踊るシーンがあって楽しー!!! 弁明シーンはめちゃくちゃ楽しくて罪悪感と拍手の間で揺れ動きました。私は無条件にシャルル7世の味方だったので(……)途中の公演から手拍子しなかったんですけど、あのシーンは普通に手拍子した方が楽しいし、後で「民衆はこうやって扇動されるんだな……」っていうのを身をもって知れてずーんと来るのでよいと思います。

 


オルレアン公ルイの上川一哉さん、MR!のロートレックがとても好きだったので今度はどんな感じなんだろうと思ってたら超イケメン! 軽いけど!←
ロートレックの自分の気持ちを押し込めて一歩身を引いてサティーンとクリスチャンを見守る姿、そしてサティーンに最大の敬意を持ち続ける複雑かつ温かい姿が好きだったのですが、今回は軽く振る舞いながらも腹の中にいろいろなものを押し込めているやっぱり複雑な人だった。あと一歩のところで欲しいものは全て手に入らず、でもその不平を口にすることもできない程度には地位がある人物。彼の行動は欲しいものを奪っていったけれど嫌いになれない兄への当てつけであり、当てつけの末にまた自分の中の純粋な気持ちに気づいて自己嫌悪に陥る、考えれば考えるほど苦しい立場。この舞台、一見王位を望んでいそうでもない人ばかりが王位について、王位を強く欲しがる人は望んだ権力によってそれで破滅していくんだよなあ。望みすぎたばかりに生まれた人の業に潰される、自業自得というやつなのか。

 

それでも、王族である誇りと度胸は最期の時まで持っている人だったと思う。
前述のジャンが最期に(逃げられない場所にいるのに)ぎりぎりまで抵抗したのに対して、ルイは最期に逃げられないとわかった瞬間から勝ち目もないのに戦うことで抵抗し、誰が自分を葬ろうとしているのかを確認し、それを仕組んだものに捨て台詞を言い残してこの世を去った。一方で、複雑な胸の内は最期まで誰にも吐き出すことがなく、彼もまた(自分の行動の結果とは言え)ある種の汚名を背負ったまま言い訳せずいなくなった。彼は彼で、芯を一本持っていて、正統に玉座を継いでいたのならもしかしたら善き王になっていたのかもしれない。

 

それにしてもロートレックの時には見られなかった身体能力が存分に観られてめちゃくちゃ釘付けになったし、とんでもない難曲を全く外すことなく歌い続ける実力にさすが……と感服した。パンフレットに載っていたカットされてしまった楽曲、確かにあのシーンで歌うよりはセリフでまとめてくれた方がすっきりしたなと想像だけでも思うのだけれど、それはそれとしてどんな歌だったのか聞いてみたかったなあ。

 


シャルル7世を導くもう一人のストーリーテラー、彼が「善き母」と呼ぶ養母であり義母であるヨランド・ダラゴン。演じるのは那須凛さんというミュージカル初挑戦の方(もっとも、劇団に所属していて舞台の経験はだいぶあるお方らしい)、プリンシパルの中で私が唯一舞台で初見だった方。(なおこのキャスト発表があった時私はちょうど「らんまん」にハマっていて、思わず出てるらしい場面を見返したんだが、結局どの方なのかイマイチよくわからなくて本当に初見状態でしたすみません←)
たぶん客席で観劇した方のほとんどが思ったと思うんだけど、「いやミュージカル初めてとかマジか」でした。もちろん舞台のノウハウはあり立ち居振る舞いについてはしっかりと身についてる方だからこそなんだろうけれど、初ミュージカルで? あの望海風斗と? 対等にしっかりハモる? どういうこと??? なんで今までミュージカルにいなかったの?????
役柄としてはもちろん、シャルル7世とのアドリブシーンなども彼女がそこにいたからこそ成り立ったものだと思う。すごい。ここで出会えてよかったしまたほかのところでもお目にかかりたい。

 

ヨランドは「善き母」と何度もシャルル7世に言われ、実際11歳で引き取られた彼があんなにも素直に育っているのだから、善き母であることに疑いはないのだけれど(とあるシーンで座り込んだまま立てなくなってしまったシャルル7世に、「少し休みますか?」と声をかけながら背中や肩をさすってあげる仕草が途中から入るようになって、本当に善き母やん……と思えてそのシーンが大好きだった)、一方彼女は策略家で、その知恵で強かに地位を固めていく。シャルル7世も彼女のもとで育ち、彼女に教育を施されたからこそ、(舞台上では描かれないけれど)戴冠後の親政がうまくいったのだろうなと思わせる力すらある。彼女自身が冒頭で口にするようにイザボーとヨランドはまるで正反対で、イザボーが衝動のままに突き進んだ女性なら、ヨランドは理性の元に強かに足場を固め歩んだ女性。この舞台のプリンシパルキャストに女性はふたりしかいないのだけれど、そのバランスが当時強くあった性別による扱いの差を語っているのと同時に、タイトルロールであるイザボーと対角線という同じ線の反対側にいる女性ヨランドという関係性がくっきりと見えた気がする。同時に、ヨランドがしきりにシャルル7世に対して「イザボーという生みの親の真実の姿を伝えようとする」姿、中盤にもう一度シャルル7世に対する「お母様を愛していた?」に、単なる策略家ではない、愛情深い一人の「善き人」としての姿も観られてよかった。この舞台、一見どろどろとしてそうだけど、「悪人」はただの一人も出てこないのがいいなあと思う。皆、自分の人生を精一杯生きた結果の姿なのだ。

 


そう考えると、一番「悪人」としての一面を見せるのは、石井一孝さん演じるブルゴーニュ公フィリップだろうか。もちろんこう言ってしまうのにも語弊はある。
後にイザボーとなる少女をフランス王妃に据えた張本人であり、国王が狂った際には真っ先に「これで自分たちの意のままになる」と笑った「豪胆公」。でも、野心は確かに黒いものではあったけれど、端々に見える姿に「権威を欲しがるもの」という姿だけではないバランスが見えて良かった。「国とは民あってのもの」と言い切るその姿は、権威を手にする責任についてもしっかりと自覚していたのだろうと思えた。まあ、王が狂気に落ちたことを喜ぶさまや「王位だけが権力ではない」という姿にはしっかり腹黒いところが見えていたけれど。あとめっちゃ曲がロックで好きでした。ブルゴーニュ公親子、なかなかにロック。ふたりでライブ開催したら行くわ。

 

史実とは違っているのだけれど、シャルル7世の兼役とフィリップが絡むシーンが、少しばかりコミカルに始まった二幕の空気を一変させていく。シャルル7世にとってブルゴーニュ公の親子はおそらく政敵でしかなかったのだけれど、彼がいる場でジャンが抹殺されるのは史実であるからいいとして、シャルル7世、の姿をした何か、に、フィリップがこの世との別れを定められるのも何だか良い。例えシャルル7世が生まれた時にはフィリップはこの世に居なかったとしても。

 


プリンシパルの方の感想を書くだけでもこんなに長くなってしまったのだけれど笑 アンサンブルの方々もとても良い。開演前から登場して客席を十分に温めてくれたところでそのまま物語に吸い込まれていく感覚は(おそらく好き嫌いはあるとは思うが)とても私は好きだった(通路に近い席の時演者さんがオフマイクで声かけてくれるのも嬉しかった)し、とにかく皆さんのダンスや歌が素晴らしくて、再演やるとしてもマジで大変だな……とは思った。出来ちゃうと信じてるけど。


若き日のイザボーであるイザベルを演じた大森未来衣さんが、イザボーの娘を演じるところまではよくある兼役だと思うのだけれど、ジャンヌとして現れるのは演出すごい……と思った。あの兼役の意味をどう考えるのかは人それぞれだと思うのでこの感想は単なる私の性癖暴露になるんだけど(……)ジャンヌという存在はイザボーと同じく衝動のままに突き進んだ人で、しかし彼女は後に聖人となり、イザボーは最悪の王妃という汚名をまとった。立場の違いやその無鉄砲さを支持してくれる者がいたかどうか、その紙一重で人生はこんなにも変わってしまったんだというところを見せられた気がした。使命を背負い短い生涯を駆け抜けて今なお語り継がれる聖女ジャンヌと、汚名を背負いながら彼女が愛したフランスと国王である息子が二大派閥の和解によって平和への道を切り拓く可能性を見出したところまでを見届けてこの世を去ったイザボー、どちらが幸せだったのかについては、論じることではないとは思うけれど。

 

そう、御託はいいのだ。イザボーの人生が幸せであったかどうかなんて、私たちが決めることではない。ただ確かなのは、「彼女は生き抜いた」ということであって、それが幸せだったのかなんて、私達にはたぶん論じる権利はないんだろう。

 


おおまかなセットはただの一回も変わらず(後ろで幕が上がったり下がったり、テーブルや玉座が出入りしたり、と言ったことはあるにせよ)、三重構造の回廊と階段を模したような円形の装置が回転することによって場面転換が行われる。それを動かしているのは人力。とんでもないセットだった。決して煌びやかでも派手でもないのに、その場その場で場所の情景が見えてくる。日本発のミュージカル!と銘打ってるからには輸出も考えられているのかもしれないけれど、(舞台美術とか詳しくないんでとんちんかんなこと言ってたらごめんなさいですが)確かに人力のセットであればそのセットを置く場所さえあれば舞台の機械的な機構がどうであるかなどはおそらく問題にならないし、上演できる可能性がある場所が多いということはそれだけチャンスもあるということで、もし本当にそこまで考えられているのであればすごいな!と思った。取り敢えずぐるぐるまわるセットのその中で、その上で、演技が続くのがとても格好いい。
音楽もめちゃくちゃ難しいだろうな……と思いつつめちゃくちゃ耳に残るものばかり。若干詰め込んでて早口なところがあるので頭をフル回転させなければいけないんだけれど、皆さんめちゃくちゃブリリアホールに勝てる方々なので、セリフも含めて聞き取りやすい(さすがにアンサンブルさんたちが全員で歌うコーラスとかは声が混ざって聞き取れなかったりしたけど……)

スマホなどの電源は切るようにという諸注意で)このヴァロワ朝にそんなものはなーい!という前説から始まるにもかかわらず、蓋を開けてみればそんな曲このヴァロワ朝にはねえだろ!とツッコミまくりたくなる曲の数々で、だけどそれがめちゃくちゃ格好良くて癖になる。ヴァロワ朝にはないと言えば、前述の大森未来衣さんがアンサンブルに混ざっている時、「乱痴気騒ぎ」というフレーズに合わせてDJの動きをしてるのに笑ってしまった。DJもその時代にはないだろ(可愛かったです。)

 

重厚だけれど、遊び心もあって、悲劇と言えば悲劇なんだけど確かに生き抜いた一人の女性の、エールを勝手にこっちがもらってしまえるような力強い物語。
世界初演な故に少し粗削りな所や、これはいらなかったんじゃ……? というようなシーン、あるいは若干の矛盾点が気になったのだけれど、それはこれからまた軌道修正されていけばいいだけの話。あとはそれこそ「ヴァロワ朝にこんな○○はなーい!」って要素がちょいちょいあって(こんな後ろで申し訳ないですがあれ叫んでたお姉さんめちゃくちゃ好きでしたしなーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!ってところで既に拍手を送りたかった)、そこが受け入れられるかによっても楽しめるかどうかは違ってくると思う。個人的には突然のトンデモ設定を持ち込まれたりつまらないアドリブシーンを持ってこられるとその時点で醒めてしまうタイプなのだけど、一つ間違えばそうなり得るシーンがあったにもかかわらずそうはならず全体的にめちゃくちゃ楽しめたので、レベルはものすごく高かったんだろうなあ、とは思う。


東京公演は終わってしまったけれど大阪公演は11日までやっているし、ブルーレイとDVDが出ることも既に決定している。円盤なら豪華版を買ってもチケットS席1回分より安いし、気になってる方は買ってもいいんじゃないかな、と思う。素晴らしい世界初演に立ち会えて本当に良かったし、何より日本発で権利を持っているところがパンフレット、複数回の配信、初日に既に映像化が決定しているという強い布陣の元になってて本当に嬉しいし、こういう感じで日本発の良いミュージカルがどんどん出来ていけばいいね、と思った演目でした。明日から大阪公演行ってきます笑